2016年11月2日水曜日

50周年記念演奏会を終えて

つい先日10月30日に、高校の管弦楽団の50周年記念演奏会が終わりました。

なんと来場は家族や招待客などなど含めてではありますが1000人を超えたとのことです。

で、当日ホールにいた方々の中には、観客側にも演奏者側にもいたようです。

演奏者側でいえば、プロオケで活躍していらしたもしくは現在も活躍中の方が乗っておられました。(個人名は伏せます)

一方で観客側には、僕も又聞きではあるのですが、校歌の作詞をされた方ですとか、富士高校の前身である、第五高等女学校の卒業生の方などもいらしていたそうです。

特に校歌では泣いている方もいらしたとか。

そんな素晴らしい演奏会に演者として参加できたのは非常に光栄です。

もっといろいろな方の感想などは僕のFacebookからいろいろ探索したほうが、いろんなものが出てくると思います。


レセプション後の全体写真



もう二日経ち、今日は仕事もいったり日常が戻りつつありますが、熱が冷めないうちに、感じたことを書いておこうと思います。


苦手意識

まずは割と軽めの話題から。
僕は大学の時にデュカスの『魔法使いの弟子』をやって以来、8分の6拍子とかで、三つ区切りの音型が続いてところどころボーイングがアップアップが入るパターンが苦手でした。
そのアップアップ自体は割と良くある音型・ボーイングだと思いますが、早いテンポで一連のパッセージのなかで出てくるのがすごい苦手。

ボーイングそのものもそうですが、パッセージ全体としてみたときに、アップアップがどこにくるのかという、法則性のようなものが未だにわかりません。
ボーイングの都合上(どこかをダウンで弾きたいのでとか)少なくともどこかでアップアップを入れる必要があるだろうというのはなんとなくわかるのですが、じゃどこに入れるの?といったことが感覚的にわからない。

だから、いつも最終的に決まったボーイングを腕に刷り込んで対処しているという次第。
本当はあまり理解しないまま、行き当たりばったりで覚えるのはあまりよろしくはないのだとは思いますが。

幻想交響曲も5楽章がまさにそういうパッセージだらけ。

今回この幻想をやったからといってすぐに解決するわけではありませんが、しっかりさらって、本番では意識せず体が反応して演奏そのものに集中できたので、少し自信がつきました。

いつか絶対『魔法使いの弟子』はリベンジしたい。

ゲネプロ

意識した言葉

今回は節目の演奏会ということもあり、また数年ぶり楽器を再開して一回目の演奏会、むしろこの演奏会のために楽器を再開したという逆転の動機も半分ぐらいあり、思い入れがありました。
久しぶりに楽器を始めるにあたり、テクニカルな部分を思い出すのももちろんですが、心構え的なことも、思い出しながら日々練習してきました。

特に日々頭の中を駆け巡っていたのは、『心は熱く、頭は冷静に』『ゆっくりで弾けないものは速く弾けない、ゆっくり弾ければ速く弾ける。。。かもしれない』『速く正確に弾く訓練(音程もリズムも)』『暗譜してないのは弾けたうちに入らない』『本番で楽しむために苦しむ』

もうなんだかんだ楽器を初めて10年近くなり、本番も何度も経験し、音楽的なこと以外でも成長はしているので、頭は冷静にという部分は、自分なりにコントロールできていたのかなという気がします。

それがベースにあり、難しいパッセージも闇雲に練習するのではなく、テンポが速くなった場合でも対応できる現実的なフィンガリングを考えたりとか、なぜこのパッセージは難しいのかを分析してそれをどう対処すればいいか考えたり、スコアを読んでアンサンブルを理解したり、時にはひたすらメトロノームで少しずつテンポをあげていくといったような地味な練習もこなしたりしました。

本番で楽しむためには地味なことも必要。楽なことだけやっていても上達はしない。

すべてがすべて完全にできたわけでは、ないけれど前進はしているな、したなという実感があります。
魔笛のゲネプロ。自分はおり番で待機中。


自分のアイデンティティ

もともとはそんなに深く考えて、この演奏会へ参加表明したわけではありませんでした。
2年ブランクが開いていたので、これ以上ブランクが開くとさすがにやばいかな、そろそろ再開しようかなと思っていたところに、たまたま今回の演奏会の参加募集を見つけたので、景気付けにと思って参加表明しました。

本番に向けて半年ほど練習を重ねていく中、その期間音楽以外のことでもいろいろありました。

8月には29歳の誕生日を迎え、30歳まであと一年ということになってしまい、普段とは少し気持ちが違う誕生日を迎えました。
もうすぐ、20代の10年が終わってしまう、このままでいいのだろうか。そもそもこの10年何をしてきたのだろうか、そもそも「私」は何者なのか。
30歳まで一年を切った焦りも少しあり転職活動なども始めたことなどもきっかけで、考えるようになりました。
そんなことを考える過程で、必然的に音楽(ビオラ)は私にとってどういう位置付けなのかといったことにも考えが及びました。

もっと本番が近づいてくると、演奏会の告知などもし始めます。というより僕が楽器を始めたことも含め報告をすることもありましたし、ここ数年で出会った人については楽器をやっていること自体知らない人もいるので、そういうこともお知らせしました。

特に、僕がビオラを弾くことを知らない人に告知する際は、「なんの楽器をやっているのか」と聞かれます。そのときにビオラをやってますとお伝えするわけです。
そのとき、「ビオラ」以外の楽器を伝えることのイメージが湧かないのです。(バイオリンやチェロを弾けるわけではないので当たり前ですがそういう浅い話ではないような気がします)

ふとそう感じたときに、10年間ビオラとしての役割を果たしたりや立ち回りをしてきたので、そういう精神的な部分まで、ビオラという存在が根付いているのかなと思いました。

そして、改めてビオラをこれからも続けていきたい、またコミュニケーションが苦手な自分としては、第二、第三のコミュニケーションツールなんだからこれを手放さないようにしようと思いました。


自分の力

今までは演奏者側の表側の話。

今回、裏方の方も大変でした。

常設のオケではないので、このために集まった人たちの中で、そのなかで随時役割を分担し、担当外の人でもフォローしあい、係についていない人でも、意見を表明するという形で協力していました。

そのメンバーでこんなにも大きなイベントを行いました。

中心で活動していた人たちは本当大変だろうと思いました。ありがとうございます。

そして自分は何をできただろうかと思う。

仕事なんて探せばいくらでもあったと思う、探そうとしただろうか。

失敗を恐れて動き出そうとしなかったか?そもそも自分は、何で貢献できただろうか。自分の能力はあるのだろうか。

裏方の仕事など、目立ちはしないけど重要な仕事に関する部分では、自分はあまり成長していなかったのかなと、情けなく思ってくる。

裏方作業の方でも、もっと貢献して、運営を回していけるようになる、そういうのが生きるためのスキルなんだろうか。

そういう意味で、周りの人に助けられてばかり。周りの人に喜んでもらえるように、「与えられる人間」になりたいなと思いました。


レセプションは都庁の展望台貸切


こんなに大人数が一同に会する演奏会。
50年の歴史のうち、一桁の代の方々のご挨拶


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